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ST JAMES YANKEES STUDIUM

¥4,800 税込

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旧ヤンキースタジアムに追悼を送る一枚
ヤンキースは1913年からポロ・グラウンズをニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)と共用していた。しかし
1920年、ベーブ・ルースがレッドソックスからヤンキースに移籍、54本塁打をマークする大活躍で一気にスター選手になり
「ルース効果」でヤンキースの年間観客動員が大リーグ史上初めて100万人を突破した。
これに気分を害したジャイアンツのジョン・マグロー監督は「1921年以降はポロ・グラウンズを使うな」とヤンキースに通告した。
そこでヤンキースは新球場の建設を決めた。最初はマンハッタンへの建設が検討されたがルース効果で儲かっていたヤンキースでさえ
手が出せないほどマンハッタンの地価・花崗岩掘削費が高かったため、これは断念せざるを得なかった。
他の地区を調査したヤンキースは1921年2月6日、ハーレム川を挟んでマンハッタンの反対側に位置するブロンクス区の材木置き場を10エーカー購入した。
そこはポロ・グラウンズからは1マイルも離れていない場所だった。 新球場は、僅か230日で建設され1923年4月18日、
ボストン・レッドソックス戦で開場。74,217人の観衆が集まり、さらに20,000人ほどが球場に入りきれなかったという。
こういった建設の経緯から、ヤンキー・スタジアムは「ルースが建てた家」(The house that Ruth built )との異名をもつ。
しかし、開場時は左中間が異常に深く(「デスヴァレー」(Death Valley)=「死の谷」と呼ばれた)、逆にライトポールまでの距離が短かったため
「(左の強打者である)ルースのために建てられた家」だという声も存在する。また、この球場で初の本塁打を放ったのもルースで、
「ここで初めてホームランを打ったのは僕だけど最後に打つのは神様しか知らない」と発言した。

NY買い付け品

¥4800円 (L) 着丈/約71cm 身幅/約56cm 袖丈/約21cm

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